さまよえる天使たち

  五、  十月はじめ・夜明け

 公園の岩肌に薄明かりが射し込む。
鉛色の朝の始まり、 町はまだ眠っている。
  ごんちゃんも、なかなか起きてこない。 雲行きが
怪しいようだ。ときどき遠くで雲が光っている。
辺りがぐんと暗くなる。 ポツリポツリと落ちてきた。
その音に、ごんちゃん目覚める。

「雨か… 」

 公園の生活が身に付いてきたのか、ダンボールハ
ウスの中に、いろいろと揃っているようだ。
ブルーシートを取り出し、棲処(すみか)の上にかけて
中に戻る。

「傘がいるなぁ… 平蔵さんは持ってるのかなぁ… 
 あの人はいらないだろうな、昨日も好き勝手に鬼平
 やってんだから 」

   朝の雨は静かに時を刻む… 優しい雨音が微睡
(まどろ)みを誘い、瞼に重くのしかかる。

 ひとしきり続いた雨はほとんど上がったが、雲は低
く垂れ込め、どんよりとしている。むっくりとごんち
ゃん、 顔を起こした。

「平蔵さん… 昼間は何してんだろう? 」

 突如、閃光が走り、得体の知れない音が響き渡る。
一段と暗くなるが、ごんちゃんの棲処(すみか)に不思
議な光が射し込む。 不審顔のごんちゃん。すると、
空の方から声が聞こえた。

「ごんちゃん、起きたかい 」
「ん? 平蔵さんですか? 」
空を見上げ 辺りを見回す 
「こっちだよ 」
今度は地面の下から声がする
「えー… 」
棲処(すみか)から這い出し 地面に耳をつける
「こっちだよっ 」

 声と同時に 天の一角に光が射し込み 
そこに平蔵がいた…

「あれっ、そんな処(とこ)にいたんですか 」

   不思議な情景ではあるが、ごんちゃんはというと、
あまり不思議には思っていないようだ。
 平蔵の姿は、ぼんやりとしていて、後ろには何か白
いモノが見える。

「其処(そこ)も平蔵さんの… 棲処(すみか)ですか? 」
「まあ、そんなもんだ 」
ごんちゃん 立ち上がると
「今日は、ボクの話を聞いて下さい 」
「飯食ったか 」
「飯、 めしは… 夜の一食にします 」
「なんだ、ダイエットかい 」
「違いますよ… でも、それも… ありますけど 」
平蔵は 何時にも増して優しい顔をしている
「ボクは、背が低いし、ずんぐりしてるから、会社の
 女の子たちが、なんだかコソコソ言ってるみたいで」
「山椒は小粒でぴりりと辛い、って云うぜ 」
「もういいですヨ! それで、スマートになってやろ
 うって、思ったんです… でも、甘い物が目の前に
 あると、食べてからにしようかなって思っちゃうん
 ですよ 」
「ごんちゃん、ガッシリして見えるよ。女には頼もし
 く見えるんじゃないかい 」
「そうですか。結婚するとき女房のお母さんが、
 ガッシリした体格で頼もしいって、言ってました 」
「そりゃぁ、社交辞令ってもんだ 」
「そんなことじゃないんです! ボクが言いたいの
 は! 」
「人間、飯を食わねえと、怒りっぽくなるんだぜ 」
「はぁ… ボクは、ボクんちは、百姓だから日曜日が
 なかったんです。それに、学校から帰ると誰もいな
 いんです、父ちゃんも母ちゃんも、爺ちゃんも田圃
 と山に出てって、母ちゃんなんか田植えになると、
 里の手伝いで三日も四日も帰ってこないんです…
 ボクも手伝うんだけど… 」
「カエルやザリガニがいただろう 」
「はい、よーく捕まえました。母ちゃんに、手伝って
 るのか遊んでるのか、どっちだって、よーく叱られ
 ました。 違うんです! ボクは小さい時、父ちゃ
 んと母ちゃんと三人で、遊園地とか、デパートに
 行きたかったんです。でも、一度も行けなかった。 
 だから、サラリーマンになって、日曜に子供を連れ
 て、遊園地に行きたかったんですよ 」
「行ったんだろ 」
「はい、行きました。楽しかったなぁ… ボクの娘、
 美しい海と書いてミウって言うんですよ。観覧車が
 大好きで、それから、ソフトクリームも。 まるで
 天使みたいなんです … 」
「どっちに似てるんだい? 」
「ボクにそっくりです… ほっといて下さい! 
 女房と話して、小さくてもいいから一戸建てを買お
 うって事になって、娘が幼稚園に入ってから、女房
 がパートに出たんです、近くのスーパーに。初めの
 うちは、昼過ぎには帰ってたんですけど、いつの間
 にかパートのチーフになって、レジ係だったのが、
 商品管理をやるようになって、それで、帰りが遅く
 なって… だから、娘は小学校に入ってから、女房
 の実家に帰るようになったんです。すぐ傍なんです
 よ… 女房が仕事終って、子供を連れて帰って来る
 んですけど、家にはボクの方が先に着いちゃうんで
 すよ 」
「じゃあ、ごんちゃんが晩飯作って、お帰りなさいま
 せって、やるのかい 」
「違いますよ。たまには、作りますけど… ボクが帰
 ると… 待ってるのは、太った猫だけなんですよ。
 此処(ここ)… 使ってもいいですか 」
「話しってのは、猫のことかい 」
ベンチに座ろうとするが 平蔵の言葉につい
反応してしまう
「違います! だから… そう、仕事の事ですよ、
 でも… それはいいんです。ボクがどぢだから…
 いいんですよ… 」

 何かを思い出したのか しょんぼりと意気消沈
ベンチに座り込む
「明日は明日の風が吹くって云うだろう 」
「何云ってるんですか、勝手なことを… 」
また立ち上がり うろついて
「ボーナス貰ったって、家のローンで消えちゃうし、
 それに… 」
「まだあるのかい、しっかり貯めてるねぇ 」
「女房の通帳を見たら、すごいんですよ。ボクのなん
 か毎月右から左、入ったと思ったらすぐ出てっちゃ
 うんだから。まじめにやってるんだけどなぁ… 」
「陰日向ない奴ほど、影が薄いって云うからな 」
「このままいって、四十とか、五十になるのかって思
 うと、やりきれないんですよ。酒は飲めないし… 」
「酒もなあ、飲み過ぎちまうと、次の日はロクでもね
 ぇよ 」 がっくりとベンチに腰をおろし
「会社休んでも、誰も困らないみたいで、パソコンが
 苦手なんですよ 」
「そうかい、アナログ人間だな。 俺も同類、
 十二時五分前と十一時五十五分の違いだ 」
「? はあ… 」
よく判らないが、気を取り直して
「仕事も初めは上手くいってたのに… 家族だって」
「ごんちゃん。 何かに精を出してるのかい 」
「? えっ… 」
「俺は足が少し悪いが、毎日歩いているんだぜ 」
平蔵の顔と足を見つめ
「足… そうなんですか… 」
  もう一度、気を取り直して
「女房のお母さんだって、初めは気さくに、いろいろ
 と喋り掛けてくれてたのに… 」
「今じゃあ、只の五月蝿い婆ぁだ 」
「そうなんですよ、えっ… 違いますっ! 女房だっ
 て、前はあんなじゃなかった… 今はお茶だって
 自分で入れるし、掃除だってボクがやってます… 」
「綺麗好きってやつだな 」
「部屋の隅でも、汚れてると我慢できないんですよ。
 爺ちゃんも飲んでない時は、そこいら中掃除してま
 した 」
「隔世遺伝だ 」
「そうかなぁ… でも、きれいにしてないとイライラ
 しちゃうんですよ 」
「綺麗好きも考えもんだなぁ、ごんちゃん 」
「女房もボクの方が丁寧で上手だから、手抜きをする
 ようになって… 」
「まあ、掃除くらい、大目に見てやれよ。そんななり
 して、ごんちゃん、けっこう細けえんだな。悪いこ
 とじゃぁねえんだが… 俺だってたまには掃除も
 するけどな。此処(ここ)もこれから落ち葉の吹き溜
 まりよ。そん時はごんちゃん、よろしく頼むぜ 」
「掃除なんか、 もう嫌だ! 」 

 本人は大真面目に悩んでいる 思わず立ち上がり

「娘が2年の時、『私のお父さん』っていうお絵かき
 で… 何を描いたと思いますか!日曜に、日曜日に、 
 ボクが洗濯してる絵ですよ! 遊園地でもない、
 デパートでもない、 洗濯ですよ! 」
「洗濯かぁ… … 真っ白いシーツが… 屋上で、
 風にはためいていた… … 」

 また遠くを見ている。
振り向くと満面の笑顔で、

「ごんちゃん、せっかくだから一曲唄ってくれよ 」
「ええっ! せっかくって、何処(どこ)がせっかくな
 んですか 」
「好きなんだろ 」

 突如として尺八の音が鳴り響く、ごんちゃんには
黄色いピンスポが当たり、オロオロと立っている。
ポケットを探ると、マイクまで出てきた。

「いよっ、待ってました! 播磨屋―っ 」 

 平蔵が囃子たてる

ごんちゃんはと云うと、もうその気になってマイクを
構えている。


 ♪  与作は木をきる
    へイヘイホー  へイヘイホー

    こだまは かえるよ
    へイヘイホー  へイヘイホー

    女房ははたを織る
    トントントン トントントン

    気だてのいい嫁だよ
    トントントン トントントン

    与作 与作 もう日が暮れる
    与作 与作 女房が呼んでいる
    ホーホー  ホーホー



唄っているごんちゃんを見つめる平蔵、静かに消える。

 唄い上げるごんちゃん。 エンディングが鳴り終え
る頃、辺りは元の公園に戻っている。
夕暮れ時なのか街路灯がついているが、雨上がりのせ
いで靄がかかっているようだ。

「ん?  なに? えぇ?… 」 
持っているマイクに気付いて
「あれっ! なんだこれ! 」
マイクに向かって喋っても、もう音は出ない。

 辺りが一段と暗くなり、街路灯に明かりがついた。
そして、マンションの窓に明かりが灯り始める。

 暴走族の爆音が駆けめぐる、遠く 近く。
その音とヘッドライトの明滅に押されるように、
公園が様変わりしてゆく。