さまよえる天使たち

   一、 九月なかば・夕刻

その公園は、繁華街から西へ入った、住宅地のはず
れにあった。 お決まりのブランコと滑り台、真ん中には
色あせたジャングルジム。南側にWCと書いたレンガ造り
のトイレ。反対側には黒っぽい妙なオブジェが見える。
水墨画にでてくる、こんもりとした岩山と云うのか、
ゴツゴツとした岩肌と滑らかなガーブ。何とも云えない形。
まさにオブジェである。
そしてその前には、丸太で組み立てたような荒々し
いベンチが置いてある。色は真っ赤に塗られている。
まるで「此処(ここ)にお座り… 」と言っているようだ。

西側に建つマンションのおかげで、公園の半分ほど
が夕刻には日が陰り、人気の少ない陰気な公園である。
しかし、住宅街とはいえ町工場と繁華街に囲まれた界
隈、昼となく夜となく、種々雑多な音が聞こえてくる。

夕暮れ時、紙袋を抱えた男が公園に現れた。年の頃
は三十五〜六、しょぼくれた眼差し、 皺の寄った上
着と丈の短いズボン。 くたびれた後ろ姿。
どう見ても風采の上がらぬ男である。

「… ん? なんだ? … 」

岩に近寄りしげしげと眺めている
ブランコに気付くと、少し漕いでみるが、
すぐに飽きてベンチに座った。
長い間、何をするでもなくただ座っている。
黄昏が色を重ねて男のからだを染めてゆく。
不意にゴツゴツした岩肌が明るくなった、街路灯が
灯いたようだ。男は公園の隅の街路灯を見上げ、
確かめるかのように腕時計を見た。

また不意に、何処(どこ)からともなく奇妙な声がした。

「Uuuuuu… AHaaaaa… 」

男はきょろきょろと辺りを見回している、すると、
目の前の岩の端が動いた。男は、突然の光景に目を見
張り、声も出ない。我に返ると、慌ててベンチの後ろ
に逃げ込み、隙間から覗いている。
岩肌が、蛹の背中が割れるように動いた、 ゆっく
りと動いた。 うねるように黒い物が出てきた! 
手? 足? 人のようだ。躰全体が出ると、
猫のように伸びをしている。 顔も服も黒ずんだ爺ぃ
だ! また一声呻くと、

「おぅ、ギャラリーがいたか 」
  呟いたかと思うと ニヤリとして
「煙草… 持ってねえか? 」
  男はただ唖然として固まっている
「た ・ ば ・ こ 」
「… あのぅ… ボク… 」 ようやく声が出た
「ぼく? ぼくは吸わねえのか 」
「いえ… 持ってます 」
  ポケットを探り 煙草とライターを差し出した
「すまねえな 」

  爺さんは煤けた指で受け取ると、そのライターで
火をつけ、ゆっくりと煙を吐いた。まるで生きている
かのような、緩やかに立ち昇る紫の煙。

 男は恐る恐る爺さんを眺めている。服装からしてホ
ームレスのようだ。刻まれた皺は深く暗い。 だが、
よーく見ると、色は浅黒いが灰汁の抜けたような、さ
っぱりとした横顔を見せている。ニヤリとした顔も少
しは愛嬌が感じられた。男はおずおずと立ち上がると、

「あのぉ… 煙草… 」
「あぁ、すまねえな、煙草らしいのは久しぶりだ…」
  灰皿に煙草を置き煙草とライターを返すと、腕を
大きく滑らかに動かし、ゆっくりと足を踏み出した。
太極拳のようだ。煙のようにゆったりとした動きが続
く。 男も煙草に火をつけ、真似をするかのように、
ゆっくりと煙を吐いた。 何か云いたいようだが、
言葉が見つからないようだ。 何度か大きく肩で息を
すると、

「煙草、久しぶりですか? 」
「真新は、そうさなぁ…  忘れた 」
   ゆったりと躰を動かしながら、喋りかけてきた
「その格好じゃぁ、仕事のさぼりってぇ訳でもなさそ 
 うだなぁ 」
「… 」
「散歩かい。此処(ここ)もなぁ、夏の朝は子供と年寄で
 いっぱいだ。俺は寝たいが、寝られやしねぇ…
 ラジオ体操ってやつだ。ワイワイガヤガヤお祭り騒 
 ぎよ。散歩に来るのは、犬に連れられた年寄だけだ
 がな。 おめえさん、そろそろ帰(けえ)ったらどうだ。
 心配事でもあるのかい。待ってるやつはいねえのか」
「帰りたい… 」 空に向かってつぶやいた

 灰皿の煙草を咥え、男に一瞥をくれると、爺さんは
歩き出した。

「あっ、何処(どこ)へ 」
「飯だよっ 」 振り向きもせずスタスタと 繁華街
に向かって歩いていった
「めし、ですか… 」 消え入るように呟いた

 ポツンと取り残された男、今までシルェットだけだ
ったマンションが、午睡から目覚めたように明かりを
灯し始める。男はベンチに座り、紙袋を抱きしめ、何
かに堪えているようだ。 

 マンションの窓に、また幾つかの明かりが灯る頃、
ひょっこりと爺さんが戻ってきた。男をしばらく眺め、

「おめえさん、飯にしないか 」
「えっ … 」 驚いたのか また声が出ない
「それとも、喉を通らねえか 」
「! ボク… 阿波根と言います 」
「アハゴン? そうかい、ならばごんちゃん、行く 
 ぜ 」
「… はい! 」 跳ねるように立ち上がった

 爺さんと男は、夕暮れの町に吸い込まれてゆく。
茜色の空は色を失い藍へと染まる。
何処(どこ)からともなく、夜の活気が満ちてくる。