九、 その日の夕刻
ゆっくりと時は流れ、固まってしまったように動か
ない二人。灰色の雲が、途切れることなく流れてゆく。
ようやくごんちゃんが動いた。
「大丈夫ですか 」
「… ごん… 俺はまだ、此処(ここ)に居るのか 」
「何言ってるんですか 」
「居るんだな、俺が見えるか。 俺が…
俺が見えるか 」
「はい 」 ようやく顔を上げた
「どうだ平蔵、俺の勝ちだな 」
「平蔵? ジョニーさん、大丈夫ですか? 」
「あぁ、今日は俺の勝ちだ、
ふふふふ・・・ はっはっはっはっ・・・ 」
不敵に笑う。 そして、大きく笑うジョニー。
突然の激しい地鳴り。 辺りには闇が広がり、不思議
なタワーだけが、明滅している。
地鳴りが治まると、何事もなかったような、元通り
の公園。そして、笑っているジョニーの顔が、平蔵の
顔に変わっていた。
「あぁぁぁ… 平蔵さん! えぇ、どうして、あれ
ぇ? 」
「元気そうじゃねえか 」
「あぁ… 」 平蔵は笑っている
「これ、どうなってるんですか! だってさっきまで
ジョニーさんがいたのに… 」
「あいつの大事なもんだ 」
ごんちゃんにラジカセを渡す
「… 」
「丁度それくらいの鼠取りだ。ジョニーが、鼠を捕ま
えたんだ。食べ残しを仕掛けてな… 鼠も賢くてな
ぁ、なかなか捕まらねぇんだ。あの手この手とよく
やっていた。ご近所さんが見つけてな、
『早く殺せっ!』って言うんだ。そうしたらジョニ
ーが言ったんだ、『今日は俺の勝ちだ』ってな 」
「それでどうなったんですか? 」
「ん、其れだけのことよ 」
「まさかっ… 」
「食べやしねえよ 」
「平蔵さん、ジョニーさんに化けて、何をしてるんで
すか! あれっ! どっちが本物なんですか! 」
「何が本当かなんてえ事は、誰にも判りゃあしねえん
だ。それよりおめえさん、強くなったじゃねえか、
電池なんか隠しやがって、見てたぜ 」
「そんな… 」
「いけしゃあしゃあと、『ぼく、帰ります』って言っ
たよな 」
「そんなつもりじゃないですよ。だって… 」
「まあ、いいってことよ。大人の狡(ずる)さも入り用
ってことだ 」
「本当に平蔵さんですか? 」
「ところで、壊れたのかい? それ 」
「さあ… 」
「直るかい 」
「直すより、拾ってきた方か早いですよ 」
「そうかい、ひらってきた方か早えか 」
「大事にしてましたねえ… あの歌、聞いてる時のジ
ョニーさんは、 まるで別人だった… 怖い人だと
思ったけど… 」
平蔵のまねをして
「本当のワルってぇのはなあ、優しい顔して、腹ん中
ぁ見せねえものさ、わかるかい 」
二人、声を合わせて笑う。
根っからの性格なのか、もう不思議とは思っていない
ようだ。
「一服、どうですか 」
「かたじけねえ 」
火をつけると、 まるで生きているかのような、
緩やかに立ち昇る紫の煙。
「聞いてもいいですか。あの人、「ガラスのジョニー」
がどうしてあんなに好きなんですか? 」
「あいつは… 歌が… 軍歌がでえ嫌(きれ)えだった。
何処(どこ)でどうしたものやら… 」
「軍歌? 」
「… … 」
「それに、 平蔵さんと同(おんな)じ太極拳… 」
「ダルニー… 門前の小僧さ 」
「ダルニー? 」
「大連だ… 」
「だいれん? 中国?… 」
「旅順の先の岬によーく遊びに行った。 大っきな太
陽が、海から昇って…真っつぐな水平線に、 空を
真っ赤に染めて沈んで行くんだ 」
また遠くを見つめる平蔵。
その瞳には、真っ赤な夕日が映っているのか。
潮騒が聴こえているのか。
「子供の頃は、喧嘩ばかりしていた… 俺も、あいつ
も… 夢があった。でっかいやつがな 」
「あいつ? 夢? あいつって… 」
「… … 」
「どんな夢なんですか? 」
「忘れちまった 」 苦しいのか肩で息をしながら
また話を始めた
「思いもかけねえ様な事になっちまうんだ。人間、い
つかは死んでしまう。だが… だがね、明日死ぬっ
てのとは違うんだ。いつか死ぬことと、明日死ぬっ
てことは、ぜんぜん違うことなんだ。おまけに、
とんでもねえ、本物のワルが来たんだ… 」
「本物のワル? 」
「人殺しよ、 戦争と云う人殺しだ 」
咳き込む平蔵
「この俺も… どうやら帰(けえ)る時が来たみてえだ 」
「えっ、 帰る… 」
「平蔵も幕引きだぜ 」 手を回すように
「これ、あるかい 」
ごんちゃん、岩の蓋を開けてジョニーの丼を取り出
し、平蔵に渡す。
「負けたこと無えんだぜ 」 賽子を転がしている
「教えてください! 」 平蔵の前に座り込む
「… 」
「どうして! 」 ラジカセを抱き上げて
「どうしてボクは、此処(ここ)に居るんだろう?
平蔵さんは、どうして此処(ここ)に居るんですか?」
「俺かい、 俺は此処が… 俺の居場所なんだ 」
「ボクの居場所は、何処(どこ)に行ったんだろう… 」
平蔵は、ポケットから手袋を取りだし
「日が暮れちまうよ、ごんちゃん 」
「これはっ! 」 目を見張り、感極まる…
「…娘が … 美(み)海(う)が初めてくれたんですよ!
ボクの誕生日に 」
「だからな 」
「いつも其れじゃないですか! ボクの言うことに、
なんにも答えてくれないじゃないですか! 」
「そうそう、その調子だ 」 時々咳き込む
「どうして、 どうしてなんだ! 判らない… 判ら
ないんですよ 」
珍しく苛立っているようだ。興奮が収まると
「ボクは、あの日… 女房を殴ってしまった…
生まれて初めて。 なんであんなに腹がたったんだ
ろう、あの時… 娘にも手を上げそうになって…
それで、家を飛び出したんです。
どうして殴ったんだろう… なんで… 」
「おめえさん、生まれてこの方、何回おまんま食べた
か、覚えているかい 」
「数えたことありません 」
「食べるって事を、よおく考えたことがあるかい。
毎日いただいて何十年、数え切れねえほど食べただ
ろう 」
「ボクには判らない! 」
「おまんまを戴くことも、きちんと出来ねえ奴に、判
るはずがねえんだ 」
「女房のことも、子供のことだって、それに… 」
「ご先祖様がくれた、宿題だよ 」
「なんで判るんですか! 自分の事も判らないのに、
なんで他人(ひと)のことが判るんですか! そんな
こと出来るわけないじゃないか! 平蔵さんには!
なんでボクが判るんですか! 」
「旅だよ。生まれてから死ぬまで、旅なんだ… その
旅の中で、よそ様を見ているから、
自分が見えて来るんだ。旅を止めたからって、それ
はそれで… それはそれで、人間なんだよ 」
ごんちゃん 岩に向かい
「じゃあ、これはいったい何なんだ! 此処(ここ)は
何処(どこ)なんだ! 平蔵さん! 教えて下さい 」
「あんたには、これから先が数えきれねえほど残って
いるんだ。すこしくらい寄り道したって、いいんだ
ぜ。 … あのまんま… あんたがあのまんま独り
ぼっちだったら、今頃どうしていたか、判るかい 」
「… それは… 」
「おめえさんは、素敵なモノを持っているじゃねえか。
今時の大人が忘れちまったモノを… 持っている
じゃねえか 」
「? 」
「あんたたち人間と同じように、この平蔵も旅をして
いるんだ 」
「えぇ? 人間と同じ? 」
何故だか、いつもと違う平蔵だと感じている。
「だがね、背くことは出来ねぇ… 授けられた事に
背くことは出来ねえんだ 」
「授けられた? 背く? えー? 」
「平蔵の旅はなあ、その旅を止めたときは、… 消え
ちまうのさ… 」
「平蔵さん! 」
「よう。あんた、子供のように真っつぐな心を持って
いる。なりは薄汚ねえし、羽もねえが、天使みてえだ
日の暮れぬ内に、帰(け)えった方がいいぜ 」
ごんちゃんは、虚しく首を振っている…
「平蔵さん! あなたは、誰ですか! ジョニーさん
は、誰なんですか!僕はどうしたらいいんですか!
美海… ごめんよ 」
暴走族の爆音、響き渡る
岩の中央に煌めきが射し込み、岩を滑り、二人を照
らす。平蔵立ち上がり。 ごんちゃんは膝をつき、平
蔵を見上げている。
爆音は、いつしか戦闘、爆撃の音に変わってゆく。
季節外れの雪が、二人に降りしきる… …
そして優しく、波の音がすべてを包み込む。
「大連… 昭和… 二十二年 寒い日だった…
俺たちは浮かれていたんだ。 あの時…
港の人混みの中で、桟橋の前で… はぐれちまった。
弟を、七つだった弟を見失ったんだ
この船で、 この船に乗って、 日本に帰るはずだ
った。 故郷(ふるさと)に、帰るはずだった…
許してくれ! ジョニー … もういいだろう
一緒に行こう ごめんよ、母さん… … 」
波間に遠く戦闘機の爆音 遠ざかる
平蔵の手から… すべてが転げ落ちる
『歌』が 聴こえる