精 霊 た ち の 八 月

◆企 画 概 要

昭和33年、TVドラマ「私は 貝になりたい」を観た、
詩人・木原孝一氏が、無残な死を遂げた戦友の無念に
想いを寄せて七百行にも及ぶ「貝の歌」を、一気に書
き上げたと云われています。           
海空雲

木原氏は若き日、硫黄島作戦に 従軍、何昼夜にも及
ぶ集中砲火によって、二万の日本兵と 七千の米兵
亡くなった激戦の地で、地獄を垣間見た人でした。

毎年八月、昭和二十年夏に想いを馳せ、名古屋の演
劇関係者をはじめ、多くの方々に協力をお願いし、
平和への願いを込めた詩や物語の朗読そして語り伝
える戦争体験「精霊たちの八月」を開催し、長く継
続してゆきたいと考えています。        

「鎮魂歌」「貝の歌」は、本HP"おおそらの会/
   貝の歌" に天野有恒の朗読が、収録されています。



◆資  料  木原 孝一 (きはら こういち)

生  誕 1922年・大正11年2月13日 東京府八王子市
     に生まれる
     本 名・太田 忠  東京府実科工業学校建築
     本科・卒業 
     1979年・昭和54年9月7日没、享年57歳
詩  集 「血のいろの降る雪 木原孝一アンソロジー」
     「星の肖像」「木原孝一詩集」「ある時ある
      場所」他
編  著 「Anthology抒情歌」「日本愛唱詩集」
評  論 「100人の詩人」「人間の詩学」「民族の詩学」
     「現代の詩学」
放送詩劇 「いちばん高い場所」昭和32年、放送芸術祭
      文部大臣賞・受賞
     「御者バエトーン」昭和40年、イタリア賞
      グランプリ・受賞
戦  争  22歳の時、硫黄島作戦に従軍 1945年2月、
      病のため内地に帰還。翌3月、硫黄島守備隊
      は玉砕。数少ない生き残りとなる